もう 見/知/ら/ぬ/乗/客じゃないんだよ(見/知/ら/ぬ/乗/客20090802グ/ロ/ー/ブ/座)

見/知/ら/ぬ/乗/客千秋楽によせて。
わたしは幸運にもブルーノにお会いすることができました。なぜチケットを持ってなかったわたしが観劇できたかと言うと、あるダイアラーさんに声をかけていただいて、チケットを譲っていただいたからです。

このチケットの重みがすごかった。チケットを受け取った後、その方と別れてひとりになって地下鉄乗った途端に、膝から崩れ落ちたからね…。譲ってくれた人の思いはもちろんだし、行けなくて悲しんでるひとや、それでも前向きに頑張ってるひとがいっぱいいるのを知ってたし、拍手やコメントでわたしなんかの心配してくれた方のこと考えたら、ほんとにいいのかな…とかいろんな思いがぐるぐるしてしまい、地下鉄の中でチケット握りしめて涙ぐんでしまいました。

大変な思いをして取ったチケットを譲ることを決断してくれたことを思うと、今でもチクッとします。今回の舞台でわたしは間違いをして、それを日記に書き殴るという最低なことをしました。ほんの少しの間だけアップされていたその日記を見て連絡をくれたそうです。だからそんな自分がいただいていいのか?って考えました。できればこの好意は受けないでお返ししたかった。自力で当日券取って、大丈夫!って言いたかった。繋がらない電話にはすっかりうんざりしてたけど、頑張って毎日電話できたのは優しいひとたちのおかげです。結局は取れなくて好意に甘えてしまったけど…。でもたぶん、たぶんだけど、こんなことになってごめんなさいなんて言われたくないと思うから、ありがとうとしか言えません。ほんとにありがとう。国立も当日券一緒に頑張ってくれて、舞台も一緒に見に行ったダイアラーさんにお誘いをいただいて、30日に行けることになりました。本当にありがたい話です。

譲ってくれたひとにありがとうって伝えたら、みんな口を揃えて、助け合いだよ、って言ってくれるんです。助ける義務も必要もない、赤の他人のわたしに。そしてわたしを助けてはくれたけど、わたしに助けてもらったわけでもないのに、です。わたしはこのやさしいひとたちに誠実でいられるよう、努力し続ける以外に何もできません。

他力本願状態の私が言うのもどうかと思うけど、もしわたしが次にチケットを取れたなら、それがもし幸運にもだぶってしまうことがあったとしたら、まだチケットを持っていない優しいひとたちにお譲りしたい。私が受けた優しい気持ちとしあわせを、少しでもお返しできたらいい。いまのところはただの戯れ言だけど、いつかそういう日がきたら、必ずそうします。言葉にするとうすっぺらでもどかしいけど、わたしにやさしくしてくれたひとたちを失望させたくない。それしか恩返しできないから。

あらしが置かれている状況を鑑みて、今後も同じような事態が起こることは免れないと思います。チケットについて言及すること自体、チケットの有無に関わらず誰かを不快にするような気がしていて、今後この件に対してどうやって付き合っていくのがベストなのかいまだによくわからないままです。ただ、今後は好きなもののために頑張ろうって声をかけあえるひとたちがいる限り、気持ちだけでもなるべく前向きでいようと決めました。わたしあらしのファンで良かった。大好きなにのが、あらしが出会わせてくれた、優しいひとたちが大好きだから。わたしにやさしい言葉をかけてくれたひと、きびしいお叱りをくれたひと、おほしさまをくれたひと、はてなであらしな日記を書いているひと、みんなにありがとうございました。本当に嬉しかったし、心強かったです。国立でみんなに会えますように。ことだま!

では舞台の感想。

開演10分前くらいに客席へ。まだ客電も落ちてないのに、会場は静まり返ってた。観客の気迫がすごくて、思わずわたしたち*1も黙り込む。こんな雰囲気の舞台ははじめて。緊張した。

舞台が始まる。

圧倒的な存在感、生々しい表現*2、あからさまに美しいビジュアル…!一幕が終わって、まともに話ができなかった。ハァ…(にのかっこいい…)とためいきつくばかり。でも、誤解をおそれずに言ってしまうと、気味が悪かった。キレて怒鳴るとことか、聞き分けのない子どもみたいで、イライラさせられたし。パンフに載ってた「ぼくはきみが好きなんだ、ガイ、ほんとうに」ってセリフ、比較的サックリ出たように感じた。…もっとねっとりと、アンダーラインを引くように言われるであろうことを想定していたので、ずいぶん拍子抜けしたのだけど、それも狂気の沙汰がうかがいしれるというか…。瞳孔開いてる話ぶりで、脅迫じみていて、本気で気味悪かった。この印象、いつものにのなら、当然だけど絶対にありえない。ああ、ブルーノなんだなあとぼんやり思った。

わたしは洋のものがどうも苦手だ。共感しづらいから。今回の舞台も共感しづらくて、とっかかりをうまく見つけられなかった。台本に多少強引なところはあったにしろ、小説を舞台にしたんだからそれは仕方ないかなとも思う。小説と比較して情報量(演者から小道具にいたるまで)が多くなってしまう分、わたしが想像力を働かせる余地は少なくなるし、その代わりに与えられた情報をどのように処理するかは観る側であるわたしの問題も大いにあると思っている。つまりわたしにそれを咀嚼できる能力が備わっていないことが大きな問題なのですが。にのに会うことも目的のひとつだから、にのかっこよかった、すごかった、も感想としてアリだとは思うけど、中身に関してちょっと入りづらかったことが悔やまれる。パンフではガイから入れと指示(ではないけど)されたけど、ガイもね…共感するには少し唐突で気持ちがわかりづらかったかな…。物語に入っていくのは難しかった。あと単純になじめないよね。文化の違いっていうのかしら?ママと謎のラインダンスをなんの前置きもなくはじめたり、唐突に踊りましょとか言い出してはじまるチークタイムとか、ヒャッハー!ぼくはカーボーイ*3とか言われちゃうと、ほんとどうかと思うけど思わず噴いちゃうよね。日本ならありえないから。

でも好きなひとに好きになってもらえないこと(最終的によりどころであったママにも見捨てられてしまうこと)で、とてつもない焦燥感とストレスを抱えていて、より狂気にとりつかれていくところは観てて苦しくなった。もどかしい、なんて単純な言葉では言い表せないけど、ブルーノのかなしい「なんで?」や「どうして?」が伝わってきた。アル中だし、救いようもないウザいやつなんだけど、考えようによってはとんでもなく素直なあまのじゃくなのかもしれない。

そんなお芝居の一方でいちいち煮えなきゃならなくていそがしい。煙草を吸ったり(全力で嗅いだよね^^)、ママ、ママー!!と子供みたいに叫んだり、ガイに会わなきゃならないんだ!ってだだこねたり、酒場で「こぼしちゃった…」(言い方がカワイすぎる…)って言って拭いてもらったり、バスローブからのぞくまっしろでほそい足とか、拗ねてまくらを抱きしめる仕草とか、ちゅばっと音が鳴るくちづけを繰り出したりするたびに、ヒャー!とかウワー!とか、ファン心が騒ぎ出してなんだか申し訳ない気持ちに。全体的にあまりにも美しくてはかなげなので消えてなくなっちゃわないか心配になりました。わたしはほんきです(真顔)

カーテンコールは四回。他のレポでみたような黄色い声があがるのかなと思ったけど、客席からはなぜか笑いが…。にのに戻って、共演者が出てくるの待ってる姿見て思わず、ってとこかな。ぺこりとあたまをさげるところはなんかほっとしたよ。

にのは純粋な狂気をまとって、ものすごくきれいだった。なんか変な言い方だけど、そう思った。間近でにのの芝居を観ることができてよかった。この消耗しそうな役柄を見事に演じたにの、おつかれさまでした。

*1:ちょう楽しかったっす先輩!あと秘蔵の色々ありがとうございました。すごすぎて茶噴きました^^

*2:セリフは翻訳劇だったので、馴染みがなく違和感あったのにも関わらず!

*3:知ってます^^と思ってすまんね…